叫んだ

ひさしぶりに悪い夢をみて、自分の悲鳴で目がさめた。

いままで何度もあることだけど、大抵は、夢の中で叫び始めて、目がさめてから、叫び終わる。
今日も、たぶんそうだった。

そのせいで、夢と現実の境界が壊れて、地続きになってしまったような、
なんともいえない不穏な感じに陥る。

でも、眠りを中断された疲労感と落胆とで、
もうすべてどうでもいいや、という感じにもなる。

・・・

現実、きびしすぎるだろ。

読書とは

保坂和志さんの『言葉の外へ』に収録されている「読書という精神の駆動」(2000) に、こう書いてあった。

読書とは第一に“読んでいる精神の駆動そのもの”のことであって
情報の蓄積や検索ではない。
ということをたまに素晴らしい本を読むと思い出させられる。

で、
その素晴らしい本の一つとして出てくるのが
ガルシア=マルケスの『百年の孤独』で、
これは幸いなことに自分の本棚にもある本だ。

いつ読んだのか、最後まで読んだのか、
ぜんぜん記憶にないから、
読み返すにはむしろちょうどいいかもしれない。
保坂さんが書いてることが
ありありと実感できそうな気がする。

あぶなかった

いつものバスに乗っていたら
交差点で、横からすごい勢いでトラックが突っ込んできた。
運転手さんが急ハンドル急ブレーキで
間一髪でよけてくれたので
なんとか接触しなくてすんだ。
トラックはそのまま逃げ去った。
上野のすごいにぎやかな交差点でのできごとだったから
見ていた人たちはびっくりしたとおもう。

車内はほぼ満員で、お年寄りが多かった。
この路線は、いつもお年寄りが多いのだ。
ぶつかりそうになった瞬間、ほとんどの人が危うく転倒しそうになったが
奇跡的に、誰も怪我していないようだった。
運転手さんが「お怪我された方はいませんか?!」と
何度か声をかけると、車内のあちこちから
「大丈夫です!」と声が上がった。

バスが運転を再開すると、どういうわけか、みんな隣の知らない人と盛んに話をし始めた。
下手したら大事故になってたかもしれない瞬間を共有したことで、
車内に謎の連帯感が突如として生まれたかのようだった。
みんな一緒に死んでたかもしれないわけだから、まあわかるといえばわかる。
誰かと話すことで、無意識のうちに、
自分がまだ生きてるってことを、確かめてるのかもしれないと思った。
これがまさに運命共同体ってやつか。

自分は、別に誰かと言葉を交わすこともなく、
いつもの停留所で降りて、いつものスーパーで少しの鶏肉と野菜を買って、
うちに帰って簡単な夕食をつくってたべた。
生きててよかったーとか、特別な感慨を味わうでもなく、
いつものように普通においしかった。

普通ってすごいな。

■■■

■■■とは、全てを超越した世界で生まれ、全てを見下ろし、全てに不安、恐怖、絶望の感情を与える存在
それは終わりの向こう、始まりの手前に存在するが存在しない領域

■■■を目で見ることはできない
触れることもできず、聞くこともできず、逃れることもできない
そして我々は誰一人として■■■を地球上のどんな言語をもってしても表す術を知らない
この世の全ての感情、記憶、事象、行為を使っても、■■■を知ることはできない

感じろ。ただこの瞬間を。
何も考えなくて良い
何も話さなくて良い
何も見なくて良い
何も聞かなくて良い
何も触れなくて良い
感じろ。ただ目の前に広がる世界を

■■■を恐れてはいけない
■■■が怖いからといって逃げていてはだめだ
その恐怖こそが自分の心の弱さであると気づけ
あなたが■■■を恐れるのはあなたが■■■に見られているから
■■■は全てを知っている
この世を生きることの意味。人間の深層心理。未知への恐怖と期待の葛藤。

■■■は物理的感染経路を持たない。(区分不可)媒介は種別区分を問わず、 感染経路は視覚・聴覚・触覚、五感全てに及ぶ。感染の特徴としては一点を中心とした拡散型ではなく、国境や海・川などの地理的障壁を無視した複数の発生源から、爆発的に増大する傾向がある。

主に精神への作用が報告されている。精神発露においても統一性がなく、抑鬱・自閉・躁状態・記憶喪失・解離などさまざまな例が報告されている。またサヴァン症候群との関連性も指摘されており、サヴァン症候群の被験者Aを■■■と接触させたところ、被験者Aは数字を書き始めた。数字のパターンから素数であるという仮説は成されたが、桁数は現在発見確認されている 6,320,430桁(メルセンヌ素数)をはるかに越えている。

黄金比が結ぶ螺旋上にクリスタルを置いた装置をスイスの学者が発表した。論文、報告書で■■■を増幅させる効果があることが記されているが、 我々の再現した範囲では、効果を確認できなかった。(学者は行方不明。近隣で上がった身元不明の死体を捜索中)

VR / AR

『劇場版ソードアート・オンラインオーディナル・スケール—』では、かつて2年以上の時間をVR(仮想現実)のゲーム世界に閉じ込められたまま過ごしたキリトが、AR(拡張現実)デバイス《オーグマー》の開発者である重村教授に、

「VRでは仮想世界が現実世界になるけれど、
 ARでは現実世界が仮想世界に侵食されてしまう」

と迫る場面がある。

以下、そこから思いついたランダムなメモランダム。結論は無い。

§

SOAの作品世界に限らず一般的な認識として、ヒトの感覚への影響が、VRとARの間でどのように違うかを考えてみる。

  • VRでは現実の視界がデバイスによって遮断され、つくられた映像によって視覚情報が完全にリプレースされる(=目を閉じていても「見える」)。
  • ARでは現実の視界に、デバイスが付加的な視覚情報をオーバーレイする(=目を閉じている間や、まばたきをする瞬間には「見えない」)。

§

SOAの作品世界では、VRデバイスによるフルダイブに比べると、ARデバイスには覚醒状態で使用できる安全性と利便性があるとされ、普及が加速した。

§

SOAのVRデバイスの特徴:

  • 仮想空間でいくら動き回っても現実世界の体は一切動かない
  • 一定以上の痛覚もペインアブソーバ機能によって遮断される
  • 全ての人間がシステムに適合できるわけではなく、そういった障害は「フルダイブ不適合(ノン・コンフォーミング)」、通称「FNC」と呼ばれる

§

劇場版SOAにおいて、現実空間と仮想空間を行き来する身体はディゾルブイン/アウトするが、幽霊と称される人工知能(AI)のユナはいつのまにかそこにいて、フェードアウトして消える。それは、物質性の有無の違いを表現するためのエフェクトなのか、それともそこに深い意味はないのか?

§

現実空間と仮想空間、現実と夢の違いを、物質性や意識という概念を使わずに語りうるか?

§

英語で序数のことを "ordinal number" という。"ordinal scale" は統計学用語で「順序尺度」と訳される。
ランクがすべてとなる世界。