大辻清司のことば

シュルレアリスムに影響を受けた写真家
大辻清司(1923年7月27日生、2001年12月19日沒)のことばたち。

写真のリアルな再現的描写は、新たな物体感の獲得を促した。
また、不変不動で持続的な写真の凝視は、さまざまに流動する意識を裏側にもった肉眼ではとうてい得られない見え方を提示した。
写真の物体感とこの凝視は、共働してわれわれに存在の不可思議を教える。
こうして、ある写真家は、実体と写真の間を反射しあうなにものかの中から、存在の意味へ志向する視点を形成してゆく。
その視点から生まれた写真は、なおいっそうくりかえしくりかえし、存在の意味を問いかけてくるのである。
そして、認識の最も素朴な原点からの出直しを、要求してくるのである。

「写真、いま、ここに」(1968)

視線は写真の中に踏みとどまるものであって、他のどこへも向けようはない。
写っている現実、というよりモノは、立ち返るべき行き先を示しているのではなく、写真の中でそれ自体の現実となる。
つまり写真の図像そのものが実在物なのである。
写真によって誕生した現実なのである。
いわばモノなのである。

「心ときめかす形を写真に」(1977)

写真を「精神の道具」と考えている写真家たちは、例えば主観的に見ることをしない写真から遡って、肉眼で恣意的にしか見ることのできない意味について考え、「眼の思想」の問題に至る。
写真で見ることと、肉眼で見ることの落差は、そのまま個人の内部世界と外部世界の落差であることに気づき、「私の精神」を外在化する操作となる。
また、自動筆記と同じ意味あいで自動撮影をするならば、精神のあるいは肉体の直接的な欲望の反応としての記録となるだろう。
こうして写真は、いまや美の問題ではなく、精神への挑発こそ「道具」としての有効な使い途となる。
そして遠くに、また近くにシュルレアリスムの新たな影がつねに落ちているのである。

「眼の思想 — シュルレアリスムと写真」(1981)